「もったいない」は自分のせい?脱却するたった一つの方法
睡眠法の記事を書きながら資料を探している時に、
とても衝撃的な記述に出会ったので、この記事で紹介していきます。
僕のことを「京大を出てまともに働かず貧乏暮らしをしているのはもったいない」などと言う人もいるけれど、僕が大学受験や大学生活で得たものは本を読んだり学んだりすることの面白さや勉強の方法やコツで、今の僕の生活はその得たものを十分に活用できていると思う。何かを学んで身につけて活用する、そのやり方さえ忘れなければ、どこに行ってもわりとなんとかやっていけるものだと思っている。
スポンサーリンク
「もったいない」ということ
Wikipediaによると、もったいない(勿体無い)とは、
物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している、日本語の単語である。…(中略)…現在では、…(中略)…一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を、戒める意味で使用される。
「京大を出てまともに働かず貧乏暮らしをしている」ことが
「もったいない」という言葉で表現されるのは、どういう状況においてなのか、
上のWikipediaの記述を参考に考えると、おおまかに以下のようになると思います。
- 発言者の中で、「京大を出る」ことの価値が、「まともに働かず貧乏暮らし」することの価値より大きいという不等式が成り立っている。
- 発言者は、「京大を出る」ことの「本来あるべき姿」は、「まともに働かず貧乏暮らし」ではないと考えている。(おそらく「まともに働いて金銭的にそれなり以上の暮らし」だと推察される。)
- 発言者は、「京大を出てまともに働かず貧乏暮らしをしている」状況に対して、少なからず戒めたいという気持ちを持っている。
なぜ衝撃を受けたか
引用したこの部分が、あまり多くを考えず世間の期待を背負って就職をした人たちにとっては、大きな視点の転換を必要とするから、だと考えています。
果たして「京大を出てまともに働いて金銭的にそれなり以上の暮らしをする」ことは「もったいなく」ないのか?
親は子に、「将来の選択肢を広げるために、なるべく名前の通った大学に行きなさい」と言いました。子は、名前の通った大学に入学しました。
親は子に、「将来の選択肢を広げるために、なるべく大きな会社に行きなさい」と言いました。子は、誰もが名前を知る大企業に就職しました。
ここで、どれほど自分の才能や能力が生かされているか、考えたことのある人が、どれくらいいるのでしょうか。
スポンサーリンク
脱却するたった一つの方法
「もったいない」と思うのは、ある人の才能や能力を、無意識のうちに特定の状態にだけ生かされるべきものとして結びつけてしまうから。
自分が経験から何を得て、それを何に生かすか、自分自身で考えることで、「もったいない」の呪縛から逃れることができるのだと思います。
大企業であくせく働く時も、一個人として自分の看板で働く時も、
常に意識したい教訓だと思います。